身内と私の話。

若年性認知症になった身内との記憶を綴るブログです。

トシオ小父さんと学生運動。

トシオ小父さんは1950年代生まれ。

 

大学に入った頃は、学生運動が一段落はしたものの、まだまだ残滓のある時期だった。

 

トシオ小父さんはあるスポーツに秀でていて、高校でもインターハイに出場、大学でも続けていて、国体にも出た。

 

なお、当時から生活能力の低い人で、お金とスキルがなくご飯が食べられず、空腹のあまり練習場でぶっ倒れたところ、事情を聞いた女子先輩方が「その代わり競技のコーチして」と持ち回りで食わせてくださったらしい。

(愛されキャラではあったのだ。これはずっと変わらなかった)

 

で、同級生ともそんな感じで付き合っていた彼は、あるとき、とある同級生に夕飯に誘われ、その下宿に泊まった。

 

翌朝、下宿を辞去し、いつも通り練習場に向かう途中、突然私服警官に呼び止められた。

友人の下宿は、学生運動家のアジトだったのだ。

 

(練習道具一式が入った)大きなバッグを持った、見慣れない学生がアジトから出てきたので、アジビラか、もっと物騒なものを運び出していると疑われたのだ。

 

私服警官に「カバンを置いて、中を見せたまえ」と言われた小父さんは素直にバッグを地面に置いたが、開ける前に確認した。

 

「いいですけど…あの、クサいですよ?」

 

生活能力の乏しい人間が、汗をびっしょりかくスポーツの練習道具を、一式詰め込んでいるのである。

 

臭いは想像に難くない。

 

私服警官は悪臭に耐えつつバッグの中を全て確認し、本当に練習道具しか入っていないのを確認すると、「行っていい」とトシオ小父さんを解放した。

 

全く、気の毒な話である。

 

追加・余談:ちなみにトシオ小父さんは、そのスポーツで出身大学を初の優勝に導いた。

すると、全く会ったこともないほど上の代の先輩まで、OBが大勢やってきて、「いやー、よくやってくれたー!」と祝賀会を開いてくれた、らしい。

 

そこまではよかった。

 

そして先輩方は、「よーしよくやったカトウ、飲め!」と、優勝カップに日本酒を並々と注いだ。

…現在ならアルコールハラスメントだが、1970年代当時のことである。先輩の祝杯を受けないわけにはいかない。

 

というわけで優勝カップで日本酒を一気飲みしたトシオ小父さんは、急性アルコール中毒でぶっ倒れ、救急車を呼ばれることとなった。

ところが、救急隊は、到着した途端、噴水のように嘔吐し始めたトシオ小父さんを見て「うん、これなら大丈夫、寝かせとけ」と帰ってしまったそうだ。

 

1970年代…恐ろしい時代である…。