トシオ小父さんとおはぎ。
トシオ小父さんは生涯独身だった。
そのため、香典は要らない(家族がいないので香典返しなどが負担)、となったと聞き、せめても霊前を…と相談したら、母が「トシオくんと言えばおはぎじゃない?」と言い出した。
そうだった。
トシオ小父さんはおはぎが大好きだった。
彼の母親が作るおはぎは、大人の拳大だったそうだ。
実家に住まいながら働いていたあるとき、トシオ小父さんは、職場に母親の作ったおはぎを5〜6個ほど折詰に詰めて持って行った。
周囲の人は、量からして、当然部署全員で食べるものだと思って待っていた。
ところが、おもむろにフタを開けたトシオ小父さんは、1人でムシャムシャとその特大おはぎを食べ始めたのだ。
そして1人で全部食べ切った。
同僚たちはあまりの甘党ぶり&健啖ぶりに、あっけに取られたそうだ。
(…まあ、だから後年糖尿病になったりするのだが…)
そんなわけで、私はトシオ小父さんの霊前におはぎを持って行くことになった。
季節が悪く、どこにも売っていなかったので、当日朝早く、まさかの手作りである(おはぎを作ったのは初めて)。
一瞬、拳大にしてやろうかな、と思ったが、大変すぎるので、結局普通サイズにした。
「作り方がなってない!」とかトシオ小父さんが怒りそうだが、まあ、初おはぎなので、勘弁してください。
お知らせ。
しばらく書いていない間に、ですが。
トシオ小父さんが死にました。
享年65。
…若すぎねえか。
会いに行くたびに認知症になった彼の印象が塗りつぶされていくだろうと思って始めたこのブログですが、結局、一度も会えないまま、最期の別れとなりました。
施設に入ってからは、LINEで2回話したのが最後かな。
どちらも私を私とは認識してなかったです。
連絡をもらったのがまた間の悪いことに御茶ノ水にいたときで、あの街にはトシオ小父さんとの思い出がいっぱいありすぎて、泣きながら歩く変な人になってました。
(なるべく早く離れたかったので超急いで立ち去りました)
香典は要らないそうなので(家族がいないから香典返し等の作業が負担)、好きだったおはぎでも持っていきます。
トシオ小父さんとおはぎの話はまた今度。
トシオ小父さんと差し歯。
トシオ小父さんは前歯2本が差し歯である。
私が物心ついた頃には差し歯になっていたので、20代で差し歯になったのだろう。
その理由が非常にマヌケである。
外資系企業に勤めていたトシオ小父さんは、当時たびたびアメリカ出張があった。
そこで名物の「ソフトシェルクラブのフライ」を食べることになった。
出てきた料理を見て、トシオ小父さんは、こんこん、とカニの殻をスプーンで叩いてみた。
硬い音がする。
「本当にソフトシェル?」
「ソフトシェルだ」
「本当だな?」
というやりとりの後…と書けばもうオチがわかると思うが、殻が硬すぎて、トシオ小父さんは前歯2本を失った。
子どもの頃は笑い話として聞いていたが…大人になってみると「バッカじゃないの?そう言われたからって無防備に全力で歯を立てるヤツがどこにいるよ!?硬いと思ったらそこで諦めろよ!」という気持ちである…。
食い意地の張った人だったので変な方向に頑張ったのだろう。
そんなわけで、小父さんの歯は今も差し歯である。
トシオ小父さんと血管。
トシオ小父さんは、50代の初めに循環器系の急病でICU入りした経験がある。
この循環器系の病が、認知症の引き金になったのではと思うが、そこは素人考えなのでいったん措く。
その日は日曜日、翌日納品の案件の作業を急いでいた私に、他県の市民病院から電話があった。
「カトウトシオさんのご親族ですか?実は現在救急でカトウさんが入院しており、命に関わるので緊急手術が必要な状況です。ついては手術にご同意いただきたいのですが…」
待て。待て待て。意味がわからない。
確認すると、トシオ小父さんは身体の不調を感じて病院まで歩いて来院し、そのままICUに突っ込まれたのだという(オイ…)。
トシオ小父さんに緊急連絡先を聞いたら私だったとのことで、すぐにも来院して同意を、とのことだった。
…車で片道3時間ほどの位置である…。
「えーと、お伺いまで3時間ほどかかるのですが、間に合いますか?間に合わなければこのお電話で同意します」
「間に合うと思われますので急ぎご来院を」
「わかりました(さよなら納期と信用)」
というやりとりのあと、取るものもとりあえず(案件だけは引っつかんだ)、片道3時間ドライブ。
しかし親族の中でもいち世代若い私が決定権者になるのも憚られ、トシオ小父さんの同世代親族に連絡した結果、他に3人の親族が集合するハメに。
(あとで「なんで〇〇に言うんだよ!面倒なこと(=生活態度全般へのお説教)になるに決まってるだろ!」と苦情を頂戴した)
ともあれ、緊急手術は行われ、トシオ小父さんは一命を取り留めた。
(なお私は深夜帰り着いてから徹夜で案件を仕上げ、納期と信用を死守した)
緊急手術のあと、危険箇所が見つかり、再手術となったのだが、このときも私が付き添いとなった。
手術用の点滴を入れる段になって、やたらと看護師が出入りし、しまいに主治医が登場する有様になったので、何があったか聞いたところ、血管が皮膚面から見えにくく、点滴ルートが取れなくて5〜6回刺し直したのだそうだ。
「私血管透けてるから、採血とかで刺し直した経験ないなぁ」
と言ったところ、
「それは俺が生物としてお前より防御本能に優れているということだ。急所が見えないから攻撃できない」
となぜか誇らしげに自慢してきた。
…どういう負け惜しみだろう…。
病後、ダイエットをしたので、当時とは比べものにならないほど痩せているそうなのだが、トシオ小父さんの血管は、相変わらず見えにくいのだろうか。
トシオ小父さんと学生運動。
トシオ小父さんは1950年代生まれ。
大学に入った頃は、学生運動が一段落はしたものの、まだまだ残滓のある時期だった。
トシオ小父さんはあるスポーツに秀でていて、高校でもインターハイに出場、大学でも続けていて、国体にも出た。
なお、当時から生活能力の低い人で、お金とスキルがなくご飯が食べられず、空腹のあまり練習場でぶっ倒れたところ、事情を聞いた女子先輩方が「その代わり競技のコーチして」と持ち回りで食わせてくださったらしい。
(愛されキャラではあったのだ。これはずっと変わらなかった)
で、同級生ともそんな感じで付き合っていた彼は、あるとき、とある同級生に夕飯に誘われ、その下宿に泊まった。
翌朝、下宿を辞去し、いつも通り練習場に向かう途中、突然私服警官に呼び止められた。
友人の下宿は、学生運動家のアジトだったのだ。
(練習道具一式が入った)大きなバッグを持った、見慣れない学生がアジトから出てきたので、アジビラか、もっと物騒なものを運び出していると疑われたのだ。
私服警官に「カバンを置いて、中を見せたまえ」と言われた小父さんは素直にバッグを地面に置いたが、開ける前に確認した。
「いいですけど…あの、クサいですよ?」
生活能力の乏しい人間が、汗をびっしょりかくスポーツの練習道具を、一式詰め込んでいるのである。
臭いは想像に難くない。
私服警官は悪臭に耐えつつバッグの中を全て確認し、本当に練習道具しか入っていないのを確認すると、「行っていい」とトシオ小父さんを解放した。
全く、気の毒な話である。
追加・余談:ちなみにトシオ小父さんは、そのスポーツで出身大学を初の優勝に導いた。
すると、全く会ったこともないほど上の代の先輩まで、OBが大勢やってきて、「いやー、よくやってくれたー!」と祝賀会を開いてくれた、らしい。
そこまではよかった。
そして先輩方は、「よーしよくやったカトウ、飲め!」と、優勝カップに日本酒を並々と注いだ。
…現在ならアルコールハラスメントだが、1970年代当時のことである。先輩の祝杯を受けないわけにはいかない。
というわけで優勝カップで日本酒を一気飲みしたトシオ小父さんは、急性アルコール中毒でぶっ倒れ、救急車を呼ばれることとなった。
ところが、救急隊は、到着した途端、噴水のように嘔吐し始めたトシオ小父さんを見て「うん、これなら大丈夫、寝かせとけ」と帰ってしまったそうだ。
1970年代…恐ろしい時代である…。
トシオ小父さんの異変。
Twitterで過去ツイートを振り返っていたら、こんなのを見つけた。
https://twitter.com/s_vjsl/status/1349227837962608641?s=46&t=5NBenSRkUWM3Df6fMn4BKQ
これはトシオ小父さんのことである。
定年後2年で預貯金をほぼ全て失った。
もともと生活的にはだらしない人だったので、「だらしないだらしないと思ってたけど、ここまでひどかったのか」というのが親族一同の受け止め方だったのだが、これは認知症によるものだったのだ。
もう少し早く気づけばなぁ。
本当に、後悔先に立たず、である。
トシオ小父さんとPC。
トシオ小父さんはパソコン関係に強い人だった。
強い、というか、趣味だったんだろう。
2000年になるころには、既に自作PCを複数台持っていた。
その頃大学受験を控えていた私に、トシオ小父さんはこう言った。
「今どきPCがなきゃ大学生も大変だろう。第一志望に受かったら予算12万円で買ってやる。第一志望以外だったら、立て替えてやるから毎月1万円、1年で返せ」
そして私は第一志望に落ちた。
「よし、立て替えだな。秋葉原で選ぼう」
とほぼ強制的に連行され、まだまだ電気街だった秋葉原を連れ回され、中古で12万円のノートPCを買ってもらった。
忘れもしない。日立のフローラだった。
…使いにくかった…(ごめんよ小父さん)。
私はバイトを始め、コツコツ1万円ずつ返済した。
その後も小父さんはPC関係の新作には目がなく、Apple Watchも出たてで購入、iPadも複数持っていた。もちろん使いこなし、使い倒していた。
私から見ると、「ちょっと買いすぎ・持ちすぎじゃない?」と思うほど、新作が出るたびに買い、複数台所有していた。
時は流れ、トシオ小父さんは認知症を発症、施設に入所した。
先日、親族で連絡担当になっている母から連絡があった。
「トシオくんのiPad、『このiPadは使えません』と表示されてるんだけど、対処法知らない?」
パスコードの間違いすぎで、iPadがロックされたのだ。
持病の治療・管理入院前はスマホもタブレットも問題なく使えていたのに。
Touch IDも設定していたはずなのだが、何かでミスしたのだろう。
どうしようもない寂寞感と共に、対処法を伝え、「今後は、パスコードロックを解除した上で渡してあげてください」と母に返信した。
あのトシオ小父さんがなぁ。
わかってはいるのだが、とても寂しい。