身内と私の話。

若年性認知症になった身内との記憶を綴るブログです。

「トシオ『小父さん』」。

ちょうど、仮名を設定したので、記憶をひとつ書く。

 

トシオ小父さんのことを、母は「トシオくん」と呼んでいた。

なので私は母と同様に、彼のことを「トシオくん」と呼んでいた。ずっとだ。

記憶がある限り幼いころから、高校くらいまでだろうか。

 

大学進学で上京すると、トシオ小父さんとはよく会うようになった。

そうすると、大学の同級生に「トシオくん」のことを説明せざるを得なくなる。

さすがに「トシオくんと…」と言うと、周囲にギョッとされる、ということは理解していた。

 

また、中学〜高校にかけて、私の周囲では不幸がたびたび起こり、法事が多かった。

親戚連はよく知っているから、私が彼のことを「トシオくん」と呼んでも気にかけなかったが、故人の知り合いや法事関係者は奇異の視線を投げてくる。

 

「ああ、この呼び方はよくないんだ」と理解し、高校くらいから、「トシオ小父さん」と呼ぶように努力した。

 

お互い、呼び方・呼ばれ方に慣れず、ぎこちない感じがあったが(トシオ小父さんのほうも、「トシオくん」と呼ばれていたものが、突然「小父さん」になってショックもあったのだろう)、そのうち慣れた。

私の真似をして「トシオくん」と呼んでいた弟たちやいとこたちも「トシオ小父さん」と改めるようになった。

 

「トシオくん」時代より、「トシオ小父さん」時代のほうが、いつの間にか長くなった。

独身ということで、いつまでも若い雰囲気の彼も徐々に老けてきて、次第に「トシオ小父さん」のほうが自然になった。

 

今は「トシオくん」とは呼べそうもない。